2019年シーズンから原辰徳監督を擁して優勝したものの、日本シリーズで惨敗。ふたたび日本一を狙う読売ジャイアンツ。
キーポイントはコーチ陣。2020年は元木大介コーチがヘッドコーチに就任しました。
1990年代から2000年代半ばまで活躍した元木氏。いったいどんな人物だったのでしょうか。
そこで今一度、彼の経歴、成績、そして年俸の推移を追っていきます!
「曲者」元木大介の経歴
- 生年月日:1971年12年30日生
- 出身地:大阪府豊中市
- 身長:180cm
- 体重:83kg
- 経歴:上宮高校
- ドラフト:1989年ダイエーホークス1位指名拒否→1990年読売ジャイアンツ1位指名
- プロ野球年数:15年(巨人1991~2005)
- タイトルと表彰:オールスターゲーム出場 (1998年、1999年)
- 妻(嫁):大神いずみ(フリーアナウンサー、タレント)
上宮高校時代は甲子園に3回出場。強打のバッターで知られ、甲子園通算6本塁打は清原和博に並んで歴代2位タイ。
1989年のドラフトでは巨人が大森剛を1位指名、ダイエー(現ソフトバンク)が野茂英雄の外れ1位で元木を指名も、これを拒否。
1年間ハワイで野球留学をして過ごし、翌年の1990年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1位指名を受けて入団します。
元木大介選手の成績と年俸推移
年度 | 試合 | 打率 | HR | 打点 | 推定年俸 |
1991 | – | – | – | – | 840万 |
1992 | 34 | .186 | 0 | 2 | 860万 |
1993 | 80 | .237 | 4 | 15 | 980万 |
1994 | 90 | .280 | 4 | 25 | 2000万 |
1995 | 67 | .244 | 3 | 25 | 3900万 |
1996 | 91 | .229 | 9 | 35 | 3480万 |
1997 | 101 | .282 | 9 | 32 | 3660万 |
1998 | 114 | .297 | 9 | 55 | 4600万 |
1999 | 114 | .229 | 6 | 34 | 7500万 |
2000 | 114 | .274 | 5 | 29 | 7000万 |
2001 | 123 | .292 | 9 | 39 | 8800万 |
2002 | 121 | .257 | 6 | 52 | 1億2000 |
2003 | 60 | .224 | 0 | 14 | 1億2000 |
2004 | 55 | .240 | 2 | 13 | 1億 |
2005 | 41 | .305 | 0 | 8 | 1億 |
通算 | 1205 | .262 | 66 | 378 | 9億5820 |
成績自体はそんなに目を見張るような数字はありません。高校時代の強打者のイメージは捨て、つなぎ役に徹していました。
しかし隠し球や状況を読んだ打撃(1998年には得点圏打率1位)等の高いセンスによるプレーから、当時の長嶋監督に「くせ者」と評されるほど、存在感のある選手でした。
元木選手の隠し球の映像がこちら(50秒から)。これは失敗映像ですが、どのように隠し玉までもっていくかがよく分かります。
彼はその存在そのものに価値があるとされ、最高で1億2,000万円と言われる推定年俸を勝ち取ることができたのでしょう。
正直、意外なほど貰っていたんだな~と思いました。
※一部では2億円という情報もありますが、公表されている額を記載しています
コーチの年俸は?
気になるのがコーチの年俸。
公表はされていませんが、プロ野球のコーチの年俸相場は1,000~2,000万円ほど。
巨人のヘッドコーチともなると、さらに上積みがあり、2,000万円以上であることは想像に難くありませんね。
まとめ
33歳という若さで引退した元木氏は、その後はバラエティー番組などで知られるようになっていきます。
2020年はジャイアンツのヘッドコーチとして、「くせ者」ぶりを作戦面でも発揮することが期待されています。そして新たな「くせ者マインド」を引き継ぐ選手は現れるのでしょうか。
なお、下記の著作もあります。気になる方はぜひチェック!
野球おもしろエピソード集。
こちらは自伝です。彼の独特な考えがわかるかもしれませんね。
バラエティー番組から来て、まともにコーチできるんか?と就任当初、誰もが思ったはず。ぎすぎすした人間関係をほぐして、選手にリラックスした状態で頑張って欲しいはず。老眼鏡もかかえ、球団のスマホやらタブレット入力して連絡確認やデータ維持してるとこは、業種は違えど尊敬してます
コメントありがとうございます!
おっしゃるとおりかと思います。
元木コーチは現役の時から好きな選手でしたので、これからも頑張って欲しいですね。