倉橋ヨエコのラストライブDVD『解体ヨエコショー』を観た。
東京キネマ倶楽部で「感謝的 解体ヨエコ ツアー ファイナル」が開催されたのは、2008年7月20日。この記事を書いている11年近く前だ。
僕が倉橋ヨエコを知ったのは2000年のインディーズデビューアルバム『礼』だったから、なぜこんなにも経って『解体ヨエコショー』を視聴することになったのか。
自分の悪い癖なのだが、新たなアーティストを発見しては次々と手を広げてしまい、一人のアーティストをずっと追い続けることが難しくなるという状態に陥ってしまう。
倉橋ヨエコの登場は衝撃的だったし、文句なく当時ナンバーワンのヘビーローテーションアーティストだった。
※1stフルアルバム『婦人用』収録「盗られ系」 幾百回聴いたことか
しかし、数年後には倉橋ヨエコから少し離れ、あまり情報を追うこともしていなかった。まさか8年で廃業という選択をしてしまうとは思っていなかったからだ。
でもね、彼女の作詞・作曲スタイルを本当によく知っていたら、遠くないうちにすべてを出し切って辞めてしまうというのは容易に想像できたことだった。そのことに気づけなかった自分にもショックを受けた。
廃業後に廃業を知ったのは痛恨の極みだったし、ラストライブの2年後に限定発売された『解体ヨエコショー』も買い逃す始末。
気づいた頃には価格が高騰し、手を出すのを躊躇していた(最近はだいぶ下がっているような印象)。
2018年1月頃に中古品を適正価格で販売しているショップを発見し、迷わず購入した。
手元に届いた時点ですぐに視聴するはずだったのだが、なぜか開封できなかった。まだ観るべきではない、という不思議な感覚に陥り、それから1年以上『解体ヨエコショー』は本棚にささったままとなる。
そして2019年4月。私事ながら大きな転機を迎えることになり、「今、聴くべきでは」という気持ちになったのが、元号の変わるゴールデンウィーク中のことだった。
満を持して視聴したところ、「なぜこの場に居合わせられなかったのか」という後悔とともに、「やはり今観てよかった」という満足感が入り交じった心境になった。
このライブは倉橋ヨエコその人の人生にとって大きな転機となったはずだ。自分の人生と重ねるのはおこがましいが、前年にDVDを入手し、このタイミングで観ることができたのは運命的だったと、今は勝手にそう思っている。
自身を表現するための歌詞
本作中でも倉橋ヨエコ本人が語っているが、彼女は「歌詞ありき」で曲を作っていた。歌詞のために、曲すらいらないと思ったこともあるという。
その歌詞は、自らの体験を記したものだ。
そうすることでしか表現できないとも話している。架空の物語を作り出したり、他者の気持ちに寄り添うのではなく、いわば自身の経験を切り売りしているということだ。
経験のネタ元は「うらみ帳」という、心のありようを綴り続けた100冊以上のノート。
その中身は壮絶で、赤裸々で、無防備な、倉橋ヨエコの心そのものが、むきだしのまま表現されているはず。
※『婦人用』収録「夜な夜な夜な」 ♪夜は自己嫌悪で忙しい ♪反省文提出します
「うらみ帳」から言葉を選び、歌詞として構成し、曲をつける。
倉橋ヨエコは心を切り取って、言葉に混ぜ込んで、歌詞を作り上げてきた。一作一作が、彼女のその時の心象風景を再現した、貴重でかけがえのない一瞬なのだ。
その一方で、彼女の心は他者にも響く。それはきっと、不安や怖れ、はかなさや嫉妬、愛や恨みという、誰しもが共通して持っている感情を、ストレートに突きつけてくるからだろう。
だから、
私は引きこもりだったからよくわかるんですけど、きっとこのライブに足を運ぶために外へ出なきゃいけない人もいたと思います。
電車に乗るのが怖かったり、たくさんの人に会うのが怖かったり、そういう人もいるんだと思います。
と、MCで涙ぐみながら語っていたのを聞いた時、彼女は自身のことしか書いていないはずなのに、強い共感性を持っていること、そしてそれは映し鏡のように聴く者の心にも届くのだと確信した。
自分の心を切り刻んで歌詞を作り、曲にのせるという行為には、いずれ終わりがくる。心だって有限なはずだ。それを消費し尽くした果てに待っているのは、「廃業」であることは想像に難くない。
解体という選択
廃業するのに「解体」という言葉を選んだのは、実に彼女らしい。
多くの言葉によって組み上げられてきた「倉橋ヨエコ」はひとつの完成形となった。頂点に達した時点でそれを維持するのではなく、「解体」を選んだのは、ある意味必然だったのかもしれない。
なぜなら、すべての言葉を出し切った「倉橋ヨエコ」を維持などできないのだから。
もし維持しようとしたとしたら、彼女はどうなっていただろう。
さらなる高みというものがあるのなら、そこを目指したのだろうか。
空虚な言葉だけが並ぶ、過去のコピー作を量産し続けたのだろうか。
それとも完成した「倉橋ヨエコ」に押し潰されてしまっただろうか。
いずれにしても、「倉橋ヨエコ」で居続けることは困難だったに違いない。だからこそ彼女は「廃業」を決断したのだ。
※メジャー1stアルバム『ただいま』収録「春の歌」 ♪元気は出るまで出すな
倉橋ヨエコは、終始笑顔で楽しそうに歌っていた。一曲ずつ、いや、一文字ずつを丁寧に自分の心から解放していくように。
ライブツアー前のインタビューで、
今の自分が考える最大限の幸せっていうのは、正直でいられる時間が長いところで生きてることだと思うんですよ。(中略)
だから今の自分としては、正直にやってこれて、最後も正直な気持ちで辞められるっていうのは、表現者冥利に尽きるので幸せですね。
と語っていた。正直でいるために廃業を選んだ彼女の笑顔は、すべてのしがらみから解き放たれたような清々しさすら感じさせられた。
ライブ中にも「成仏」という言い回しをしていたが、それこそが「自分が正直でいられる世界」へ移り住むための表現だったように思える。
やがてダブルアンコールが終わり、踊り場で崩れ落ちるようにして伏せった瞬間、「倉橋ヨエコ」は完全に解体された。
そして再生へ
「倉橋ヨエコ」の解体がもたらしたもの。
それは聴く者に「永遠の再生」を遺したのだといえる。
このライブの最後に彼女は、
倉橋ヨエコという人間はいなくなりますが、CDは残りますから、聴き続けてくださいね。
と語っていた。「倉橋ヨエコ」は解体されたが、あのラストライブが終わった直後から、聴く者の手によって新たに再生されていくのだ。
2008年当時こそCDという表現が妥当だったが、今はさまざまな音楽サブスクリプションサービスで聴けるし、YouTubeでも聴ける。「倉橋ヨエコ」を再生する手段は、当時よりもはるかに多様になったのだ。
なんと素晴らしいことだろうか。
※『ただいま』収録「楯」 唯一、自分ではなく「お母さんのために作った」という曲だが、自身の気持ちを素直に歌っているように思う。これが『解体ヨエコ ツアー』最後の曲だった
だから、僕は今日も倉橋ヨエコを再生する。
あの日、解体された倉橋ヨエコの欠片は、今はこうしてインターネットの波に乗り、全世界の聴き手に届けられる。
そして今この時も、聴き手の数だけ再生が始まるのだ。
※この記事中の「再生」は「rebirth」「play」の両方を意味しています
「machi」について
本来はここで記事を終えるはずだったのだが、廃業して10年が経つ2018年になって、一部ネット上で話題になった「machi」について語らないわけにはいかないと思い、加筆しておく。
machiとは中国のテレビ番組で流れていた楽曲を提供していた人物。
こちらの動画の2:45あたりから流れる、「County color」という曲を歌っているmachiが、倉橋ヨエコではないか、というものだ。
聴けばわかると思うが、「倉橋ヨエコだった人間」ではないかと思われるほど似通っている。しかし「倉橋ヨエコ」は解体されているから、倉橋ヨエコではないはずだ。
ところが、「私の桜は ああ灰色だ」というサビの部分を聴いた時、僕の涙腺は激しく刺激された。なんでだろう?
0:25からmachi自身が歌う様子も。仮面の理由は……?
こちらの動画の冒頭0:20からと、ラスト18:30から流れる「Doremi Song」という曲もmachiだ。
残念ながら、いずれも現時点で日本では手に入らないとのこと。
※SNSで話題になった中国動画のテーマソングを歌うmachiとは何者か? 本人にメール・インタヴュー | Mikiki
真偽はさておき、倉橋ヨエコ自身はもう解体されてしまっている。だから僕はmachiを聴き続けようと思う。
倉橋ヨエコを再生する傍らで。
「感謝的 解体ヨエコ ツアー ファイナル」セットリスト
1.白い旗
2.鳴らないピアノ
3.感謝的生活
4.卵とじ
5.あいあい
6.盗られ系
7.過保護
8.白の世界
9.マネキン人間
10.友達のうた
11.損と嘘
12.夜な夜な夜な
13.春の歌
14.夏
15.人間辞めても
16.恋の大捜査
17.はないちもんめ
18.輪舞曲
アンコール
19.メドレー(自転車、ラジオ、レモンケーキ、ラブレター、森へ行く、梅雨色小唄)
20.沈める街
21.ジュエリー
ダブルアンコール
22.依存症 ~レッツゴー!ハイヒール~
23.東京
24.楯