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『到達不能極』あらすじ
2018年、遊覧飛行中のチャーター機が突如システムダウンを起こし、南極へ不時着してしまう。
ツアーコンダクターの望月拓海と乗客のランディ・ベイカーは物資を求め、今は使用されていない「到達不能極」基地を目指す。
1945年、ペナン島の日本海軍基地。訓練生の星野信之は、ドイツから来た博士とその娘・ロッテを、南極にあるナチスの秘密基地へと送り届ける任務を言い渡される。
現在と過去、二つの物語が交錯するとき、極寒の地に隠された“災厄”と“秘密”が目を覚ます!
というのが基本的なあらすじ。第64回江戸川乱歩賞受賞作で、2018年発表の作品(講談社)だ。
なお「到達不能極」と書いて「とうたつふのうきょく」と読む。言葉の意味は「陸上で最も海から遠い点、または海上で最も陸から遠い点」。
早速、ややネタバレレビューにいってみよう! ※「やや」と言いつつ結構なネタバレをしていますので、未読の方はご注意ください
『到達不能極』ややネタバレ感想
2018年の「現在」と、大部分が1945年の「過去」が交互に語られていく。
現代パートは望月拓海、過去パートは拓海の大伯父に当たる星野信之だ(当初は星野信之の名は伏せられているが、読んでいてすぐに気づける)。
既にあらすじで両者が「南極」に向かっていることが記されているので、彼の地で何かが起きることは容易に想像できる。
文章は達者で読みやすい。奇をてらった表現などもなく、好感が持てた。
ただ、少し丸括弧での補足が多いかなと感じた。個人的にはリズムがそがれるので、できる限り丸括弧での補足はないほうが読みやすい。この辺りは個人差があるため、大きな問題ではないのだが。
- 現代:不時着した理由、そして謎のアメリカ人(ベイカー)の存在
- 過去:南極へ向かう理由、ユダヤ人研究者親子の存在
という点が柱になって物語が進んでいく。
ただし途中で気づくのが、いわゆるミステリーではないという点。「SF冒険小説」という表現がふさわしいかもしれない。
SF部分の詰めの甘さ
冒険小説的な描写は申し分なかった。極寒の地の様子、全身に痛みを感じるほどの寒さ、極限下の心理状態……という部分はよく書かれていて、本当にその場にいるように思わせるほどの筆力がある。
しかし、SF部分はどうか。
「脳(意識)を電気化して保存する」という設定はSF・ファンタジーではありがちでもあるし、乱歩賞という老舗ミステリー小説賞の名を冠した作品に期待した読者には結構な肩すかしだったように思う。
しかもその技術を1945年の時点で開発できており、ユダヤ人親子の意識が現代にまで残り続けていたというのは、いかにも都合が良いというか、説得力は感じられない。
さらに、ユダヤ人親子の父親は他の人間と意識が融合している(作中では「複合体」と呼ばれている)のに、主人公が淡い恋心を寄せていたロッテだけは融合を逃れ、電子の世界で独立した存在になっているのも、ややご都合的な印象が残る。
SF・ファンタジー設定は、作者のさじ加減ひとつで物語をいかようにもできるため、よほど納得感のある説明や裏付けを事前に明らかにしておかないと、読んでいていまいちノレないことが多い。
自分としては、それがこの作品にも当てはまった。
このSF部分の弱さは小説現代のサイトにある選評でも触れられている。
だが指摘しつつも寛容であり、文章に加え、全体的なストーリーが上手くまとまっていることが評価されていることがわかる。
それは確かに読書中も感じた点だ。ややこしい時代背景や設定、状況を、混乱させずに読ませる筆力はかなりのものだろう。
ただ、この作品をミステリーとして世に出すことは良かったのだろうか、今もって判断がつかない。
総評
さすがは乱歩賞受賞作だけあってレベルの高い作品だったが、個人的にはやはりSF部分が残念に思えた。
このメイン部分の設定やストーリー展開には、どうも既視感が拭えない。先行するアニメや漫画作品に同等の、いやそれ以上に素晴らしい作品は多く存在するため、どうしても「どこかで見た」という感想を抱いてしまう。
湊かなえの選評に「SF的な部分では30年以上前に読んだ漫画を連想してしまいましたが」とあるが、その通りの印象を持った。
しかしSF部分を除くストーリーは王道的な展開で好感を持てたし、南極という難しい舞台を選んだ勇気、そして何よりも文章から作者の誠実さが伝わってきた。
今作は個人的にはあまり合わなかったが、この作者のド直球のミステリー、または冒険小説を読んでみたいと思わせられた。そういう意味では引き続き注目したい作家といえる。